九州エリア

スーパーバイザー / 1995年入社

TORU KOGANEMARU

Interview

ワッツ初期の軌跡

私は㈱久松で働いていました。終盤は、同志の従業員と一緒に組合活動をして会社と対立していました。同社が倒産する直前、故・平岡亮三氏が新たにワッツを設立し、久松の従業員が、各拠点丸ごと引き継がれることになり、私も入社しました。当初は埼玉県にある川口支店で勤務していました。

ワッツの設立初期は、各拠点のディスカウントストアと移動販売が主な事業でした。駐車場にテントを張り、数日間商品を販売することで、1日40万円もの売上を記録することもありました。しかし、この形式では長期的な安定性に欠けるため、徐々に常設店舗へのシフトが進みました。この転換が事業の安定に寄与したのだと思います。

当時、同業他社も同様に常設店舗への転換を進めており、業界全体での大きな流れとなっていました。ワッツはこの変化をいち早く捉え、対応したことで、今日でも存続できているのだと思います。

挑戦と再出発

その後、大阪の本社へ異動し、人事関連から営業まで、さまざまな業務に携わりました。当時の本社は、わずか10名ほどが机と椅子を置ける程度の、とても狭い事務所でした。その後、ワッツ設立から数年が経ち、私は個人的に100円ショップの事業を立ち上げることになりました。

前職の先輩と共に4店舗を運営しましたが、競合の増加により運営が難しくなりました。そんな中、ワッツは順調に成長を続けていました。事業の限界を痛感し、再びワッツへ戻る機会をいただきました。復帰したとき、会社は設立当初と比べて規模が大きくなり、体制も整っていましたし、若い社員も増えてイキイキとしていました。

最初は中部ワッツで勤務し、オースリーとの統合を経て2008年より再び大阪に戻り、営業企画課に配属になりました。その後、人事課が新設され、労務関係・採用関連業務を主に担当しました。

再雇用から見るワッツの成長と変化

昨年、私は定年を迎え、再雇用として九州の委託店舗を中心に働かせてもらっています。デスクワーク中心の業務から肉体労働に変わり、設立当時の催事を思い出しながら働いています。

毎日疲れますし、やることが多いですが、一日の限られた時間の中でできることを見極めながら業務をこなしています。ワッツが設立され、私が入社した頃には、ここまで大きくなるとは思っていませんでした。そのため、今のように再雇用で地元に近い場所で働けることに、会社の成長を実感しています。これも今の平岡社長の「おかげさま」だと思います。

今の目標は65歳以上でもまだ必要だと言われるような存在になることです。