ワッツ西日本販売
開発マネージャー / 1995年入社
KATSUYUKI MORISHITA
Interview
100円ショップ黎明期の苦労
ワッツの創業者である故・平岡亮三氏に誘われて入社しました。当初は埼玉県川口市の事務所に勤務していましたが、同年9月から大阪本社へ異動となり、以来ずっと大阪で勤務しています。入社当初は、「みんなで食っていこう」という強い気持ちのもと、社員全員で営業活動に邁進しました。
100円ショップという業態自体がまだ世間に認知されておらず、ワッツという会社名も知られていませんでした。新しい会社ということもあり、信用を得ることが難しく、取引を断られることも少なくありませんでした。量販店やショッピングセンターへの出店は難しかったため、路面店、商店街、駅前などの立地へ重点的に出店し、地道に取引先を開拓していきました。
出会いの屋号「meets.」誕生
最初の頃は、取引先の開拓はもちろん、店舗設計、什器手配、運営、さらには商品部の業務まで、一人で全てを担っていました。店舗の図面作成は、CADを使わず、方眼紙に手書きでレイアウトしていたこともあり、当初はA工事やB工事といった専門用語の意味が全く分からず、右往左往することもありました。
催事では、「百円村」という屋号で営業していました。当時は予算が限られていたため、できる限り費用を抑えて店舗を作らなければなりませんでした。常設店舗が増えるにつれ、新たな屋号が必要となり、「安價堂」を経て、最終的に「meets.」という名前に決定しました。複数の候補の中から、皆の意見を取り入れ、「出会い」という意味を込めて、この名前に落ち着いたのです。
人との出会いを大切に
店舗開発の仕事に長年携わる中で、私が手がけた店舗が多くのお客様に愛され、売上を伸ばしている姿を見るのが、何よりの喜びです。失敗はつきものですが、過去にとらわれず、常に前向きに新しいことに挑戦してきました。競合店が増える中、常に最新の情報を収集し、周囲の人々と積極的に交流することで、店舗開発のヒントを得ています。
これまでも「人との出会いを大切に」という考えのもと、様々な交流会に参加し、社外の人脈を築いてきました。それがゆくゆく店舗開発の情報に繋がっていくんだと思ってます。手がけた出店は数多くありますが、それは私一人の力ではなく、多くの人の協力があってこそ実現できたことです。