南関西エリア

エリアマネージャー / 1995年入社

KUNIHIRO MUKUMOTO

Interview

ディスカウント事業の発展に

ワッツが設立される前、私は㈱久松の福岡支店に約9年間勤務し、商品部でディスカウントストア事業の仕入業務を担当していました。忘れもしない1995年1月17日、長崎県諫早市でトラックを使って商品を納品していた際に、阪神・淡路大震災のニュースをテレビで知り、大変驚きました。翌々日、商品会議のため大阪に向かう飛行機の中から、想像を絶する街の変わり果てた姿を目の当たりにし、言葉を失いました。当時、情報源は主にテレビでしたが、実際の被害状況はテレビ映像だけでは到底想像もできないほど凄惨でした。

同年2月22日にワッツが設立され、その直後の3月末に久松が倒産しました。ワッツは久松の事業の一部を引き継ぐ形で急拡大しました。久松には複数のディスカウントストアがあり、長崎の対馬と神奈川の三崎口にある店舗、さらに100円催事事業と一部の従業員もワッツが引き継ぎました。私は福岡支店に在籍していたため、その流れでワッツに入社することとなりました。この年は、多くの仲間との別れを経験した忘れられない一年となりました。

ワッツに入社してすぐに、長崎県対馬のディスカウントストアに異動となり、店舗責任者として従事しました。地元の仕入先を開拓する際、設立間もない会社であったため信用が乏しく、既存の仕入先に商品を卸してもらえるよう懸命に説得して回りました。当時は100円均一商品だけでなく、高額商品もディスカウント価格で販売しており、売れ残った商品は対馬の店舗でさらに値下げして現金化していました。そのため、設立当初のワッツはディスカウントストア事業の拡大を目指していました。

その後、100円均一業界に追い風が到来し、それに関連した商品の調達も行うようになりました。現在でも取引のある会社に協力をお願いし、商品を分けてもらったことは懐かしい思い出です。

当時は仕入先や倉庫を頻繁に訪問し、仕入窓口の拡大に努めていました。ワッツは催事販売を通じて売上を拡大し、100円ショップの常設店舗を次々と増やしていきました。これに伴い、ワッツの方針は次第に100円ショップ常設店の拡大へと大きくシフトしていきました。しかし、対馬の店舗では100円均一商品はあまり売れず、薄利多売のディスカウント商品の方が人気が高かったことを覚えています。その後も私はディスカウントストア事業の拡大に身を投じていきました。

挑戦と転機の連続

1998年頃、ディスカウントストア事業の責任者となり、大阪市平野区にある店舗へ異動しました。大阪においては、ディスカウント商品の仕入れルートの確立が難しく、加えて、三崎口や対馬など遠隔地の店舗を大阪から管理することは、地理的な制約から非常に困難な状況でした。

同時期、均一業界では、音通がワッツから100円雑貨を仕入れて展開した「フレッツ事業」や、後に「ローソンストア100」となる「ショップ99」の登場により、新たな競争が激化していました。特に、食品を中⼼とした商品構成の事業が注目を集め、ワッツも大黒天物産との合弁で「バリュー100」をスタートさせるなど、各社が新たなビジネスモデルの構築に力を入れていました。この市場の変化に対応するため、当社はディスカウントストア事業を閉鎖し、私は成長が見込まれる「バリュー100」へ異動しました。

両社経営陣は、生鮮食品の強化による売上増を目指し議論を重ねましたが、100円均一という価格設定が、生鮮食品の取り扱いを困難にするという課題に直面しました。そこで、設立した会社を存続させるため、収益と集客の両立を図る方針へと転換。生鮮食品の価格を市場価格に近づけ、大黒天物産からの独自商品の供給により売上は向上しました。しかし、大黒天物産が本業に注力し多店舗展開を進めていた一方で、「バリュー100」は2店舗目の出店にこぎつけず、事業拡大が思うように進みませんでした。

2008年、ワッツとオースリーが統合し、100均事業以外を担う事業部へ配属されました。私は「バリュー100」を中心に、花屋の「花祭り」、立ち飲み屋の「ほろよい党」、合弁事業の焼肉屋「美塩亭」など、多岐にわたる事業に関わりました。特に、「ほろよい党」では、道頓堀に店舗を構えましたが、高額な賃料が大きな負担となり、経営が困難な状況に陥り、閉店の危機に瀕しました。そこで、閉店時の原状回復費用を最小限に抑えるため、成長中の飲食店と交渉し、居抜きでの契約を結ぶことで、事業から円滑に撤退することができました。

その後も「バリュー100」事業に関わっていましたが、多店舗展開が計画通りに進まなかったため、2012年、ワッツ入社以来初めてエリアマネージャーとして100円ショップ事業を担当することになりました。それまでとは全く異なる環境での仕事に、日々新たな発見があり、業務に励みました。その後、本社総務部へ異動し、採用から法務関連まで幅広い業務を経験しました。特に、設立20周年式典を大々的に企画し、多くの社員の記憶に残るイベントを成功させたことは、私にとって大きな経験となりました。その後、商品部へ異動し、高額商品の導入に携わり、現在のワッツの多様な商品ラインナップの基礎を築くことに貢献しました。そして2020年には、北関西と南関西エリアマネージャーとして再び現場に復帰し、現在に至ります。

定年退職?まだまだこれから!

100円ショップ事業に携わる前は、赤字や不採算に苦しむことも多かったですが、わずかな売上アップやお客様からの感謝の声が、私の仕事の原動力となっていました。

4年周期で部署異動を経験してきたため、今年もまた新たな挑戦が始まるかもしれませんね。これまで30年間、様々な部署で多くの人々と出会い、共に仕事をしたり、別れを経験したりと、実に様々な経験をさせていただきました。ワッツに在籍する社員の中で、他の方より私が最も多くの人々と仕事をしてきたのではないかと自負しております。こうしたインタビューを受けて改めて振り返ってみると、私は比較的困難な状況ほど力を発揮してきたように感じます。

現在は、エリアの社員育成に注力しており、チームリーダー、SVの成長していく姿を見るのが、私の大きな喜びです。まるで我が子を見守るような気持ちで、メンバーの成長を応援しています。私がこれまで培ってきた経験が、少しでも皆さんの力となり、組織の未来を担う人材へと成長してくれることを心から願っています。