Interview

代表取締役社長 平岡 史生より

30年という月日が経つのは、本当にあっという間ですね。この節目の機会に、『ワッツ』の30年の歴史を振り返り、その最初のページを紐解いてみたいと思います。

私は創業当時ワッツにはいませんでしたが、父とともに会社を立ち上げたメンバーたちの記憶が頼りです。そこで、年末に創業メンバーを集め、同窓会のような雰囲気の中で当時の出来事や思い出を語り合いながら、過去を振り返ってみました。皆さんと共有できればと思います。

久宝寺町の小さな部屋から

ワッツの発祥の地は、大阪市内久宝寺町にある雑居ビルの一室でした。その狭い空間に、創業者である故・平岡亮三氏を中心に、部下の近石弘氏をはじめ、さまざまな背景を持つ人々が集まりました。久松時代の同僚もいれば、新しい仲間もおり、まさに有象無象の集まりでした。

小さな部屋に集う人々が白熱議論を交わし、事業の未来を描き、『ワッツ』は誕生しました。

聞き間違いから生まれた伝説

「社名の『ワッツ』は実は『ワット』のはずだった」という話は、都市伝説ではなく、れっきとした事実なのです。

平岡亮三氏が会社設立の際、登記手続きで「ワット」と発声したにも関わらず、聞き間違いにより『ワッツ』と誤って登録されてしまったというのです。

まるで落語のネタのようですが、これはまぎれもない実話だったのです。

ワッツ100円ショップの原点は

「天5」

『ワッツ』の100円ショップ1号店は、大阪市内の「天5」(天神橋筋5丁目商店街)に位置していました。

メインストリートから少し入った路地裏に、知り合いが所有していた10坪ほどの小さな店だったそうです。屋号はみんなも覚えていないようです。

創業当時は、特に決まった屋号はなかったのかもしれません。

久松の遺産を継ぎ、新たな道へ

初代社長には、創業者の平岡亮三氏ではなく、「アイ・エフ」社長の大河内さんだったという事実が判明しました。この背景には、平岡亮三氏や近石弘氏が元々務めていた株式会社久松との深い関係が隠されています。その詳細については、別の機会にご紹介します。

しかし、1995年3月30日に株式会社久松が倒産したことで、状況は一変しました。『ワッツ』は、久松のディスカウントショップ1店舗(後にさらに1店舗)と、一部の100円ショップと商品・什器、そして従業員を引き継ぐことになったのです。

この出来事が、ワッツの大きな成長のきっかけとなりました。

紆余曲折の道のり

その後、平岡亮三氏が代表取締役社長に就任し、大河内氏は退任することとなりました。その際、『ワッツ』の100円ショップ5店舗が「アイ・エフ」に譲渡されたのです。

しかし、「アイ・エフ」はその後、業績が悪化し、「株式会社音通」に買収されてしまいました。

そして、「株式会社音通」の100円ショップ運営会社である「音通エフリテール」を『ワッツ』が譲り受け、再び『ワッツ』と一緒になったのです。この一連の流れは、まるでドラマのような展開と言えるでしょう。

久松から繋いだ小売りの輪

また、久松のディスカウントショップの一部は三井商事に引き継がれ、「リアル」という名称で運営されていましたが、その後『ワッツ』と統合されました。

一方、久松と取引関係にあった大黒天物産は、『ワッツ』と共同で「バリュー100」というディスカウントスーパー事業を展開し、委託販売の店舗や直営店舗を「ラ・ムー」に出店させてもらうなど、深い関係性を築いています。

ご縁に感謝

つくづく、さまざまなご縁とご縁で結ばれて30年という月日を過ごしてきたのだと実感しました。

私も皆さんから伺っていた話だったので、事実かどうか確信が持てないことも多くありました。

しかし、30年の節目にこうして皆さんと顔を合わせ、語り合うことができたことは、本当に良い機会でした。

近石さん、加藤さん、越智さん、福光さん、本当にありがとうございました。